大阪地方裁判所 昭和61年(タ)344号 判決 1988年4月14日
甲原一明こと
原告(反訴被告)
甲海雲
右訴訟代理人弁護士
大櫛和雄
乙淑愛こと
被告(反訴原告)
乙淑愛
右訴訟代理人弁護士
和田清二
主文
一 原告(反訴被告)と被告(反訴原告)とを離婚する。
二 原告(反訴被告)と被告(反訴原告)との間の長女甲瑛順(昭和六〇年四月一七日生)の養育者を原告(反訴被告)と定める。
三 原告(反訴被告)のその余の本訴請求及び被告(反訴原告)のその余の反訴請求をいずれも棄却する。
四 訴訟費用は、本訴、反訴を通じてこれを二分し、その一を原告(反訴被告)の負担とし、その余は被告(反訴原告)の負担とする。
事実
第一 申立
一 本訴
1 請求の趣旨
(一) 原告と被告とを離婚する。
(二) 原告と被告との間の長女甲瑛順の親権者を原告と定める。
(三) 被告は、原告に対し、金一〇〇〇万円及びこれに対する昭和六一年六月二八日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。
(四) 訴訟費用は被告の負担とする。
(五) 第五項につき仮執行宣言
2 請求の趣旨に対する答弁
(一) 原告の請求を棄却する。
(二) 訴訟費用は原告の負担とする。
二 反訴
1 請求の趣旨
(一) 反訴原告と反訴被告とを離婚する。
(二) 反訴原告と反訴被告との間の長女甲瑛順の親権者を反訴原告と定める。
(三) 反訴被告は、反訴原告に対し、金五〇〇万円を支払え。
(四) 訴訟費用は反訴被告の負担とする。
2 請求の趣旨に対する答弁
(一) 反訴原告の請求を棄却する。
(二) 訴訟費用は反訴原告の負担とする。
第二 主張
一 本訴関係
1 請求原因
(一) 原告(反訴被告、以下「原告」という。)は、昭和二七年五月二日東京都で出生後、大阪市において成長し、現在家業である土木工事請負業(甲原興業の名称。以下「甲原興業」ともいう。)を営んでいる。被告(反訴原告、以下「被告」という。)は、昭和三三年八月三一日広島市において出生後、長野県上田市に居住していた。原告と被告は、昭和五九年四月一七日上田市において結婚式を挙げ、同月二九日から原告の母丙基先(以下「基先」という。)の住居から車で約五分の距離である大阪市西淀川区<住所省略>所在の軽量鉄骨三階建建物に新居を構え、同年七月一二日同区長に婚姻届をし、昭和六〇年四月一七日には両者の間に長女甲瑛順(以下「瑛順」という。)が出生した。
(二) 離婚原因
原、被告間には、次のとおり、夫たる原告の本国法である朝鮮民主主義人民共和国(以下「北鮮」ともいう。)の法令に定める離婚原因(夫婦関係をこれ以上継続し得ない場合)が存在する。
(1) 被告は、ハワイへの新婚旅行中、国籍が朝鮮であることから税関で一時間程係官の尋問を受けたことに立腹し、マウイ島観光の間終始ブスッとして原告に当り、突然別れるから親に電話してくれと言い出し、また、ホノルルでは、帰るからパスポートをくれと言い出し、原告がそれはできない旨説明したところ、夜八時過ぎに一人でホテルから外へ飛び出すなど不可解な行動をとった。
(2) 被告は、日常生活上、家事の処理が極めて不十分で、原告が指示しても改めようと努力する姿勢はなく、原告のため昼食の弁当を作ったのは結婚当初の一か月間にすぎず、以後は朝食や夕食の準備すらしないことがあった。
(3) 被告は、原告から注意されたり、何か腹を立てることがあるとヒステリー症状を起し、原告に対して物を投げたり、蹴ったり叩いたりすることがあった。
(4) 被告は、結婚後昭和五九年五月中旬に一週間、同年六月下旬に二週間、同年八月に一週間など必要以上に長期にわたって上田市の実家へ帰り、同年一〇月一〇日ころ実家へ帰った時は、原告が一週間後に上田市まで迎えに行ったにもかかわらず帰阪することを拒み、同年一二月まで実家に滞在した。その挙句、被告は、昭和六〇年八月一日突然原告に告げることなく瑛順を放置して実家へ帰ってしまい、同年九月三〇日付で勝手に外国人登録の住所を大阪市から上田市に移し、更に昭和六一年四月には原告に知らせずに東京都に転居している。
(三) 慰藉料
原告は、上記のとおり、被告の身勝手な行動によって離婚を決意せざるを得なくなったものであり、これにより多大の精神的損害を被っているから、これに対する慰藉料は一〇〇〇万円を下るものではない。
(四) 親権者の指定
被告は、昭和六〇年八月一日家出をするに際し、瑛順を放置して行ったものであり、瑛順は、それ以来現在まで原告及び基先によって深い愛情のもとで監護養育されているから、離婚後の瑛順の親権者としては原告が適当である。
(五) よって、原告は、被告との離婚、慰藉料一〇〇〇万円及びこれに対する本訴状送達の日の翌日である昭和六一年六月二八日から支払ずみまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求めるとともに長女瑛順の親権者を原告と指定することを求める。
2 請求原因に対する答弁
(一) 請求原因(一)は認める。
(二) 同(二)につき、(2)のうち被告が弁当を作らなくなったこと、(4)のうち被告が上田市の実家へ帰った時期、被告が外国人登録の住所を上田市に移したこと及び東京都へ転居したことは認めるが、その余の事実はすべて否認する。
被告が弁当を作らなくなったのは、原告が作業人夫のために取り寄せる外食弁当を人夫らと一緒に食べることとしたためである。また、被告が昭和六〇年八月一日実家へ帰ったのは、後記反訴請求原因(二)(3)のような事情によるものである。
(三) 同(三)は否認する。
(四) 同(四)は争う。
二 反訴関係
1 請求原因
(一) 本訴請求原因(一)と同じ。
(二) 離婚原因
被告は、原告との婚姻生活をこれ以上継続することは不可能であり、その事情は次のとおりである。
(1) 原告は、基先が切り回していた甲原興業の手伝をしていたが、原告の自由に仕事をさせてもらえないこともあって勤労意欲に乏しく、基先が被告らの新居へ来て原告をののしり、仕事に出るよう激しく責めると、原告は、かえって仕事をしないで飲酒し、パチンコにふけるという怠惰な生活を続けた。そして、被告が、基先から被告のために原告がそのようになったとなじられ、妻としての立場がないため、原告に対して不満を言うと、原告は激しく反論するが、態度は改まらなかった。
(2) 基先は、原告が仕事をしないことを被告のせいにして明らさまに被告を非難し、原・被告間の婚姻生活に介入した。被告は、昭和五九年中は、朝又は夕方基先方へ家事の手伝に行っていたが、出産間近のこともあって昭和六〇年一月から中止したところ、基先は、何かにつけて原告へ電話を掛け、虚偽の事実を告げて被告を中傷し、また、被告が同年三月出産のため実家へ帰り、出産後同年五月末ころ帰阪した際、原告が被告を迎えに来ようとしたところ、基先はその必要はないとして制止し、原告はこれに従った。原告は、原告を溺愛する余り原、被告の婚姻生活に干渉し、被告を中傷する基先に対して、これを止めるよう積極的に行動することはなく、無視するか、被告に八つ当りをするだけであって、結局は基先の言うことにすべて従うという姿勢に終始した。
(3) 原告は、婚姻中被告に対し五回ほど暴力を振るっているが、昭和六〇年七月三一日午後九時ころ飲酒して帰宅した際、ブツブツ小言を言っているので、瑛順に授乳していた被告が問いかけると、原告は突然被告に殴りかかり、足で蹴るなど執拗に暴力を振るった。被告は、電話で基先の助けを求めたが現場へ来た基先は、事態を知りながら、被告をいたわるどころか、原告と一緒になって嫁の被告が悪い、甲原家の財産目当に来た、この家も息子も被告のものではないなどと被告を非難し、罵詈雑言を浴びせた。そのため、被告は恐怖を感じ、深夜実家へ連絡をとったうえ、翌八月一日早朝単身で上田市へ立ち帰った。
(4) 原告は、本訴請求において、離婚原因として全く虚偽の事実を主張している。
(5) 別居後昭和六〇年一一月二七日及び同年一二月六日に第三者を交えて原、被告間で話合がされた際、基先と仕事を別にし、原、被告が基先から自立して婚姻生活を営むことに意見の一致を見たにもかかわらず、同月中旬基先は、被告に対し、電話で、原、被告が外で生活することは許さない、息子(原告)は被告のものではないなどとヒステリックに通告し、その後同日二〇日になって、原告は、前言を翻し、被告に対し、基先の言分に従うと約束してくれなければ一緒にやっていけないと言い出した。
(三) 慰藉料
原告は、基先及び被告に対する上記のような態度によって、被告との婚姻関係を破綻させたものであり、被告がこれによって被った精神的苦痛に対する慰藉料は一〇〇〇万円を下るものではない。
(四) 親権者の指定
瑛順は未だ幼少であって、母である被告による養育が不可欠であるから、被告を親権者と指定すべきである。
(五) よって、被告は、原告との離婚及び慰藉料五〇〇万円の支払を求めるとともに、長女瑛順の親権者を被告と指定することを求める。
2 請求原因に対する答弁
(一) 請求原因(一)は認める。
(二) 同(二)につき、(2)のうち、被告が昭和六〇年三月実家へ帰り、同年五月末帰阪したこと、(3)のうち、原告が昭和六〇年七月三一日飲酒して帰宅したこと及び同年八月一日被告が家出したこと、(5)のうち、昭和六〇年一一月、同年一二月六日、同月二〇日に原告と被告が話し合ったことは認めるが、その余の事実はすべて否認する。
原告は、甲原興業の現場作業の指揮監督や土木機械の操作を担当し、意欲的に家業に従事していたもので、被告が、土建業に将来はないと勝手に決め込み、常に被告の実父の経営するパチンコ店を一緒にやろうと言っていたにすぎない。また、昭和六〇年七月三一日の件は、付合いのビールを飲んで帰宅した原告に対し、被告が遅いとか酒を飲んでいるなどとしつこく文句を言い、注意した原告に平手打ちをしようとしたので、原告が被告の体を軽く押しただけである。
(三) 同(三)は否認する。
(四) 同(四)は争う。
第三 証拠<省略>
理由
一管轄権について検討する。
国際裁判管轄権については、わが国法上直接の明文の規定がなく、明確な国際法上の原則もいまだ確立されていないから、条理に従って解決するほかないところ、後掲の各証拠によれば、原、被告は、いずれも外国人登録原票上国籍を朝鮮とするものではあるが、両名ともわが国において出生し、爾来現在までわが国内に居住しているものであり、大阪市西淀川区長に対する婚姻届出後同市内において婚姻生活を営んでいたことが認められるから、本件訴訟はわが国の裁判管轄権に属するものと解するのが相当であり、また、国内的管轄権についても、人事訴訟手続法一条一項により、当裁判所がこれを有することは明らかである。
二準拠法について検討する。
本件は、国籍をいずれも朝鮮とする外国人たる原、被告間の離婚請求事件であるから、法例一六条により、離婚原因事実の発生した時における夫たる原告の本国法を準拠法とすべきものである。ところで、朝鮮半島には、北緯三八度線を境として大韓民国と朝鮮民主主義人民共和国の各支配地域にそれぞれ別個の法令が通用していることは公知の事実であるところ、後掲の各証拠によれば、原告は、慶尚北道金泉郡甘文面所才洞を本籍とするものではあるが、外国人登録上、自己の国籍を韓国ではなく朝鮮と申告し、その両親らとともに北鮮系の組織である在日本朝鮮人総連合会(以下「朝鮮総連」という。)に所属し、その一員としての地位を保っていることが認められるから、原告は、その意思により北鮮国籍を選んだものというべく、したがって、本件においては、原告が身分上密接な関連を有すべき北鮮の支配地域において私生活関係を規律する法規として現に通用している法令をもって法例一六条にいう原告の本国法であると解すべきである。
そこで、離婚の許否ないし離婚原因に関する北鮮の法令についてみるに、「北朝鮮の男女平等権に関する法令」(一九四六年七月三〇日北朝鮮臨時人民委員会決定第五四号、以下「平等権法令」という。)五条は、「結婚生活において夫婦関係が異常で夫婦関係を継続できない事態が発生したときは、女性も男子と同等の自由な離婚の権利を有する。」と規定して離婚を許容し、「北朝鮮の男女平等権に関する法令施行細則」(一九四六年九月一四日北朝鮮臨時人民委員会決定第七八号、以下「平等権細則」という。)一〇条は、「結婚生活にあって夫婦生活をこれ以上継続できないときは、当事者は(中略)離婚する。」と、一一条は、「協議による離婚が成立しないときは、当事者は所管の人民裁判所に離婚訴訟を提起できる。」(なお、協議離婚制度は、「協議離婚手続を廃止して裁判離婚にのみよらせる規定」(一九五六年三月八日発付同年四月一日施行内閣決定第二四号)により廃止された。)と、一二条は、「離婚訴訟を受理した裁判所は到底夫婦生活を継続できないと認められるときは即時に離婚判決をなす。」と規定して、相対的かつ包括的な離婚原因を定めていることが認められる(弁論の全趣旨により成立を認める甲第一〇号証の一、二、崔達坤・北朝鮮婚姻法一〇七頁以下、二四四頁以下)。
三そこで、本訴及び反訴について離婚原因の存否を判断する。
<証拠>を総合すると、次の事実を認めることができる。
1 被告は、昭和五八年五月ころ大阪市に居住する原告と見合いをしたが、長年両親とともに生活してきた長野県上田市を離れる気持がなかったことから一旦断った。しかし、その後原告の申入れにより再び付合を始め、上田市と大阪市を相互に行き来して交際を続け、その間に、原告から被告に対し、将来被告の願望を入れて親から独立して仕事をし、上田市あるいはその近辺で居住してもよいとの意向を示したので、被告は原告と結婚する決意を固めた。そして、原告は、同年一〇月仲人の秋沼信こと丁基述及び実父とともに上田市の被告方へ赴いて、被告に婚約指輪を贈り、更に昭和五九年二月には仲人と原告の叔父及び弟が被告方へ出向いて結納の儀式を行い、同年四月一七日上田市において結婚式を挙げ、体面もあるので当分の間大阪に住んでほしいという原告の申出により、基先らの住居から車で約五分の近距離にある大阪市西淀川区<住所省略>所在の原告の父所有名義の建物に新居を構え、同年七月一二日同市西淀川区長に婚姻の届出をし、昭和六〇年四月一七日には長女甲瑛順が出生した。
2 原告の父は、甲原興業の名称で道路舗装等の土木工事請負業を営んでいたが、長らく病弱であったため、原告の母基先が実権を握って仕事を取り仕切っており、父死亡(昭和五九年五月四日)後は、基先が代表者の立場で、請負契約の受注や仕事の手配など主要な業務を処理し、原告は、作業現場における指揮監督や大型機械の操作などを担当し、毎月基先から生活費として一五万円を支給されていた。
原告は、基先の指図によって働かされ、原告の自由に仕事ができないことにかねて不満を抱いており、被告に愚痴をこぼすことがあったが、結婚後も仕事のことで基先と意見が衝突すると、反抗して仕事に行かず、基先から叱責されてもこれを無視して飲酒やふて寝をすることが度重なった。そのような場合、被告は、原告に文句をいう基先と原告との間の板挟みとなり、嫁としての遠慮もあって、ただ困惑して拱手傍観する態度に終始した。また、被告は、基先の言い付けで、結婚後同女方の家事の手伝いに通い、夕食をともにしていたが、従来の生活習慣の相違もあって必ずしも基先の気に入るような働きはできず、しかも、基先の日常の言動を被告ら夫婦の生活に対する干渉と受け取り、被告は、基先との意思の疎通を図るための積極的な努力をすることもないまま、基先と密接な関係をもって生活し、基先方へ行くことにひたすら精神的負担を感じるようになり、他方、基先も、次第に被告に対して悪感情をもつに至り、原告が仕事を怠けるのは嫁である被告にも責任があるとして、被告を非難するようになった。
3 被告はもともと上田市を離れたくない気持を持っており、意に反して大阪で生活せざるを得なくなったことや、原告が積極的に家業に従事しないために頻発する親子の争に巻き込まれ、基先とも気まずい関係が続いたことから上田市へ帰りたがることが多く、昭和五九年五月の里帰りの際は結婚前からの約束に固執して原告の父死亡直後に帰ろうとしたが、原告や基先から初七日が済むまで延期するよう納得されて、不承不承同月中旬になってから約一週間帰郷し、翌六月下旬には、保険の手続をする必要があるということで約二週間帰郷した(この際は、原告も途中で上田市へ来て約一週間被告の実家に滞在した。)。更に同年八月中旬には約一週間盆の里帰りをし、同年九月切迫流産の疑いで一時入院後、基先や原告との心理的葛藤にも起因して精神的に不安定な状態となったため同年一〇月一〇日ころ帰郷し、約一週間後原告が上田市まで被告を迎えに来たが、被告は事態が改善されていないとして帰阪を拒否し、約二か月間上田市に留まり、正月の行事もあるということで同年一二月になってから帰阪した(その際、原告は基先から迎えに行く必要はないと止められていたが、基先に内密で名古屋まで被告を出迎えている。)。
4 長女瑛順の出産後も、家業に意欲的に取り組もうとしない原告の姿勢は改まらず、被告は、原告が基先と被告間の融和を図るため積極的に努力することなく、現状に不満を抱きながら親から完全に独立した生活をするでもなく、基先との間で面白くないことがあると飲酒したり、被告に当ったりする生活態度を続ける原告に嫌気がさし、瑛順が夜泣きすることもあって寝室を別にし、夫婦の性関係もあまりなくなっていたところ、偶々昭和六〇年七月三一日夜原告が飲酒して帰宅したことに文句を言ったことから激しい夫婦喧嘩となり、原告から肩や背中を殴打されるに至った。被告は、原告から暴行を受けて激情にかられ、翌八月一日早朝寝ている生後三か月余の瑛順を一人で放置したまま、原告から貰った婚約指輪や結納の宝石類のみを持って前記新居を立ち去り、上田市へ帰った。
5 その後同年一一月末、被告は、原告と会って話し合い、基先から独立して親子三人だけの生活をしたい旨の希望を伝え、原告もこれに反対しなかったので、更に双方の親を交えて話合をすることとし、同年一二月六日には、朝鮮総連の西淀川区委員長及び仲人の斡旋により、原告及び基先と被告及びその両親とが話し合った。その席上、原、被告は親と離れて自立したほうがよいとの意見が出されたが、その場合の経済的問題等について具体的な話合はなく、一方基先は、このままでは気が済まないとか、基先から離れて三人で暮らして行くというのなら勝手にしたらよいと強い調子で突き放した応答をし、円満に結論が出ないまま原告から後日連絡するということで物別れとなった。被告は、その後原告から何の連絡もないので、原告方(原告は、被告の家出後間もなく瑛順とともに基先方へ戻り、そこで起居していた。)へ電話を掛けたところ、基先が電話口に出て、原、被告らが三人で暮らすことは絶対に許さない、息子は自分のものだから被告はもう帰って来なくてよい旨申し渡した。そこで、被告は、同月二〇日兄夫婦とともに大阪へ出向いて原告の真意を確かめたところ、原告は、母には逆らえないし、外へ出て生活する気もなくなったとして、従来の態度を全く翻した。
被告は、原告の右の返事を聞いて、原告に自主性がなく、結局は基先の意向に従うこととなり、独立した被告との夫婦生活を築いていく意欲がないものと判断し、原告との婚姻関係を継続することは不可能であると考え、自立の途を講ずる決意を固め、昭和六一年四月上田市の親許から肩書住所へ転居し、単身でアパート生活をして調理師専門学校へ通学を始めた。そして、現在においては、原、被告双方とも夫婦関係を正常化し、継続する意思を完全に失っている。
以上の事実が認められる。
右認定の事実によると、原告と被告との夫婦関係は、原告と基先との間の仕事をめぐる軋轢に端を発した被告と基先との感情的齟齬、問題の解決から逃避し、両者間の融和を図るための積極的努力をせず、夫として家庭を築いていくという自覚と責任感に欠け、自主性にも乏しい原告の生活態度、他方、被告も、結婚前の原告の言葉に固執して、大阪で生活することに当初から不満を抱き、ことある毎に実家へ帰り、嫁としての立場があったにせよ、基先と原告ひいて原、被告夫婦との関係を改善するための積極的な心配りに欠けるところがあり、経済的条件等を十分考えることもなく、ひたすら基先から離れて原、被告だけで生活することを願望するなど多分に自己中心的な態度をとったことが相俟って決定的に断絶し、既に原、被告の別居状態は二年半余に及び、しかも、原、被告とも婚姻を継続する意思を完全に失っているのであるから、原、被告間の婚姻関係をこれ以上継続させることは不可能な段階に立ち至っているものといわざるを得ず、前記平等権法令及び平等権細則に定める離婚原因があると認めるが相当である。
四次に、本訴及び反訴の慰藉料請求について判断する。
前項認定のところによれば、原、被告の婚姻関係が継続不可能となるに至ったについては、原、被告のいずれか一方にのみ全面的に非があるものということはできず、要するに、原、被告双方が与えられた条件の中で主体的に協力し合って夫婦関係を維持、発展させていく熱意と工夫が足りなかったために生じた不幸な結末というほかなく、原告又は被告のいずれか一方が不当に婚姻関係を破棄したものとして、これに婚姻関係破綻の責任を帰することはできない。したがって、婚姻の不当破棄を理由とする原告及び被告の各慰藉料請求はいずれも失当である。
五最後に、親権者の指定について検討する。
離婚当事者の未成年の子に対する親権者の指定に関しては、法例二〇条により父の本国法が準拠法となるものと解すべきところ、離婚に関する前記朝鮮の法令には、離婚後の親権者の指定に関する規定はなく、両親は離婚後も子女に対して平等な権利を有し、義務を負うものと解されており(朝鮮民主主義人民共和国社会主義憲法(一九七二年一二月二七日最高人民会議第五期第一四会議採択)六二条参照)、平等権細則二二条に「婚姻訴訟を受理した裁判所は、同時に子女の養育者、子女の養育費(中略)に関する裁判をなすことができる。」と規定しているにすぎないから、裁判所は、離婚の裁判に際して親権者の指定をする余地はなく、申立の有無にかかわらず、離婚の裁判と同時に養育者の指定を含む養育問題の解決を図るべきものと解せられる。そうすると、前記(三項)認定の事実及び原告本人尋問の結果によって認められる原、被告別居後今日まで瑛順は原告及び基先のもとで現実に養育されている事実に照らすと、原告を瑛順の養育者と定めることが相当である。
六結論
以上の次第で、離婚に関する本訴、反訴各請求を認容し、慰藉料に関する本訴、反訴各請求を棄却し、原、被告の長女瑛順の養育者を原告と定めることとし、訴訟費用の負担について民訴法八九条、九二条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判官島田禮介)